|
|
(げんじやま) |
大きい地図・ルート検索 ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI ) |
|
桜の名所で知られ、椿・ツツジ・紅葉も美しい自然公園。芝生の広場もあってグループや家族連れの姿が目立つ。 源頼朝が奥州征伐に発つ時、この山に白旗を立てて戦勝祈願をしたといわれ、公園中央に源頼の銅像が立っている。
寿福寺の背後、鎌倉のほぼ中央に位置する源氏山は、標高92メートル余の山である。山の名は、1056(天喜4)年に始まった。
陸奥の豪族、安倍頼時(あべのよりとき)とその子貞任(さだとう)・宗任(むねとう)の乱(前九年の役)を鎮圧するため東国に派遣された源頼義(みなもとのよりよし)に従った、その子の義家(八幡太郎。
1039〜1106)が、この山上に白旗を立てたのに由来するといい、〈旗立山〉ともいう。これ以後、源氏は東国にその地歩を確立することになった。
源氏山の北西に続く丘陵社〈葛原岡(くずはらおか)〉といい、後醍醐天皇の側近として鎌倉幕府を倒そうと計画して捕えられた日野俊基は、1332(元弘2)年にここで処刑されている。
俊基を祭神に祀った葛原岡神社、俊基墓がある。 |
|
アクセス |
JR鎌倉駅西口から徒歩25分 |
ハイキング
コース |
● 源氏山へのコース
佐助稲荷・銭洗弁天を経て源氏山へ
鎌倉駅西口から銭洗弁天・源氏山をめざすには、市役所前を進んで御成隨道を抜ける道と、市役所前の交差点を右に折れて寿福寺方面に歩き、左折して佐助隨道を経由する道とがある。
● 北鎌倉から葛原岡までは〈葛原岡ハイキングコース〉、葛原岡から大仏坂切通し支では〈裏大仏ハイキングコース〉といわれている。源氏山はいずれも行かれる。
● 〈葛原岡ハイキングコース〉は、浄智寺参道脇の小道が出発点となる。谷沿いに建つ人家を抜けて山道に入ると、やがて小高い峰に〈天柱峰〉と刻んだ自然石、五層の石塔、顕彰碑などが立てられている。 |
|
|
|
(くずはらがおか) |
大きい地図・ルート検索 ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI ) |
|
源氏山公園から徒歩5分 源氏山の北西に続く丘の一帯で、桜の
名所として知られている。鎌倉時代は刑場があり、後醍醐天皇の忠臣で倒幕の首謀者だった日野俊基が、1332(元弘2年)にここで斬首されている。
神社前方には、石造の宝篋印塔が安置された国史跡の日野俊基がある。
日野俊基の墓
石の玉垣で囲まれた変形の宝篋印塔がそれである。塔は室町時代のもの。墓塔の北方には明治21年に勧請された俊基をまつる葛原岡神社がある。
日野俊基を祭神に1887(明治20)年ごろ創建された。俊基(?〜1332)は鎌倉末期の公家で、後醍醐天皇の側近として討幕に加わり、1324(正中1)年に捕えられた。このときは赦免されたが、鎌倉幕府が滅びる1333(元弘3年)の前年に倒幕を計画した首謀者として補えられ、葛原岡で処刑された。その間の物語は『太平記』巻二にくわしい。
「秋をまたで葛原岡に消ゆる身の霧のうらみや世に残るらん」
● 葛原岡からハイキングコース
葛原岡と南東に続く源氏山は自然公園として整備され、桜の名所としても知られている。また鎌倉の古寺社へと下る道も、銭洗弁天・佐肋稲荷方面、寿福寺・英勝寺方面、化粧坂・海蔵寺方面とここから標識をたよって山路にかかると約20分で山ノ内浄智寺につけ、東慶寺、円覚時、明月院にもいかれ、多彩である。 |
|
住所 |
鎌倉市梶原5−9−1 |
電話 |
|
拝観時間 |
境内自由 |
アクセス |
JR鎌倉駅西口より徒歩25〜30分 |
見学所要
|
約10分 |
ハイキング
コース |
● 佐助稲荷・銭洗弁天を経て源氏山・葛原岡神社へ
鎌倉駅西口から銭洗弁天・源氏山をめざすには、市役所前を進んで御成隨道を抜ける道と、市役所前の交差点を右に折れて寿福寺方面に歩き、左折して佐助隨道を経由する道とがある。
● 北鎌倉から葛原岡までは〈葛原岡ハイキングコース〉、葛原岡から大仏坂切通し支では〈裏大仏ハイキングコース〉といわれている。
● 〈葛原岡ハイキングコース〉は、浄智寺参道脇の小道が出発点となる。谷沿いに建つ人家を抜けて山道に入ると、やがて小高い峰に〈天柱峰〉と刻んだ自然石、五層の石塔、顕彰碑などが立てられている。 |
|