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湘南プロムナードショッピング湘南の天気予報   只今の時間2009年01月06日(火)15時15分


世界遺産を目指す「武家の古都 鎌倉」 湘南の海「江の島」を観光旅行に!! 休日、余暇を無駄使いせずに、ファミリー、カップル、シニア層まで、楽しめる湘南のスポットへ!!
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湘南物語は下記の文献を参考にさせて頂いております。ここで深く御礼申し上げます。
湘南物語 参考文献

湘南遊歩道

 
湘南は、東京、川崎、横浜の雑踏から脱け出る海岸を基調とした風景地、別荘地、保養地、療養地である。緑地計画の範囲として 東京駅を中心に半径50キロ圏内、山手線内主要駅から所要時間1時間以内で、湘南は地理的にも交通面でもまさに適格の位置にある。湘南は、他に優れて「大東京の風景地」としての代表的存在たる位置を明確にしてる。
 「湾曲に連なる海岸線、伊豆半島を望み、波もをだやかな相模湾、緑も深い松原、はるかに大山、箱根の連山の上に富士山の美しい姿も見られる、きれいな砂浜に陸あげされた漁船のかげには、景色に見とれている人の姿、江の島のかげにかくれる汽船の煙、渚には釣する人の三人、五人、本当に湘南の浜辺は、長閑な日本の楽土である。東京近隣の楽土である。」
漁業資源も豊富で、一年中魚影はこと欠かさない、魚を求めた遊漁船が行き交い、渚では、サーフィンの若者が波乗りに狂喜し、浜辺では若いカップル、ファミリーが楽しいひと時を過ごしている。
 休日になるとぎっしり詰まっている国道134号線がなぜ湘南遊歩道路と呼ばれているのか、若しかしたら自動車遊歩道なのかしらと思ったことはありませんか? この景色のよい浜辺につくられたのが、湘南遊歩道路である。 

● 
県の湘南開発事業
1930(昭和5)年代に展開された県の湘南開発事業は、湘南に対する認識を改めて強める役割を果たしたものとして位置づけられるのではないかと考えられる。
 湘南開発事業の推進役となったのは、1930(昭和5)年前後に県知事を務めた山県治郎であった−。山県は、「湘南地方計画と風致開発策」という論文で湘南を「大東京の風景地」と位置づけ、「各種交通機関は、湘南に向つて殺到して居る状況だ。従って此処に奮然として起って来る処の、乱雑なる湘南地方小都市を大都市の外郊として其の体を如何に統制すべき哉が重大なる問題になって来る。そこで此の統制を支配する重要なる処置は、一に懸って自由空地の確立、即ち緑地網の設定と、地域制の限定に外ならぬ。之れ即ち湘南の湘南たる所以であらう」と論じる
 鉄道の発達は湘南の大衆化を推し進め、各海水浴場の繁栄をもたらす一方で、湘南に雑踏の世界を招くことにもなっていた。本稿の文脈に則して山県の議論を捉えていくならば、このように「乱雑なる湘南」の様相を呈し始めた事態に対し、県が秩序を持たせていくことで、風光の地と賞されてきた湘南の保全を図ろうとする構想として考えていくこともできるであろう。



まずは左の写真をご覧下さい。これが1949(昭和24)年4月の湘南遊歩道路、現在の134号線の在りし日の面影なのです。湘南遊歩道路は正式には「府県道片瀬大磯線」だそうですが一般には湘南海岸道路とも湘南逍遥道路・湘南観光道路・湘南道路とも呼ばれていました。戦後暫くして湘南ドライブウェイと誇らしげに呼んだこともあったようです。

● 「大東京の風景地」の湘

さて、こうした湘南開発構想の最初の具体策は、湘南遊歩道の建設であった。1928(昭和3)年都市計画課に公園係を設置して広域的な緑地計画の検討を進めていた県は、1930(昭和5)年に入ると川口村片瀬の竜口寺前から大磯町に至る海岸道路の計画をとりあげ、実地測量と設計を進めた上で、同年11月県会に湘南遊歩道建設案を提出した。不況が深刻化する中での事業計画に対する県会内での批判をおさえて原案通りの可決に至り、翌年8月に起工された。財政難や辻堂海岸海軍用地の通過問題などで工事は順調には進まなかったが、この計画に期待を寄せて、1930(昭和5)年末に湘南開発期成同盟会を組織していた地元関係町村の働きかけもあって、遊歩道は1935(昭和10)年に湘南大橋を除く区間を一般開放、翌1936年には湘南大橋も竣工して完成をみた。遊歩道は、緑地帯、乗馬道も備えたものであった。 湘南開発構想は、この遊歩道建設とあわせて、上水道敷設と都市計画法の適用も一体としたものであった。県営湘南水道計画は遊歩道計画と並行して着手、寒川村を水源地とし、東は茅ケ崎、藤沢、鎌倉、逗子、横須賀を経て浦賀へ、西は平塚、大磯に至る水道が敷設されていき、1936(昭和11)年までに全工事が完成した。また、1933(昭和8)年の都市計画法改正(それまでの市制施行地域に加え、内務大臣の指定する町村にも適用)を機に、県の勧告のもと、1935(昭和10)年までに湘南一帯の町村が同法の適用をうけることになった。これを前提に湘南地域で都市計画事業が進められ、鎌倉はじめ周辺7町村は「仏都」鎌倉を中心とした国際観光都市建設をめざすこととなる一方、藤沢以西では湘南海岸公園計画が立案されていくことになった。同時期に内務省で開催された東京緑地計画協議会においては、湘南海岸をはじめ神奈川県内8か所が東京緑地計画の「景園地」に決定され、まさに「大東京の風景地」としての位置付けが与えられていく。そして、この8か所のうち最初に事業着手されたものがこの湘南海岸公園計画であり、「県の風景地開発事業の先駆的存在であった」(同計画は、1935(昭和10)年7月都市計画神奈川地方委員会で決定、1937(昭和12)年12月に内閣許可)。 ところでこの東京緑地計画協議会では、神奈川、埼玉、千葉の東京隣接県が、 「それぞれの地域で個々に進めてきた開発計画を東京緑地計画すなわち東京の 都市圏の中に取り込まれることでその実現を図ろうとしていた」とされる。
 だが、同協議会での議論の状況を見ると、3県の状況はかなり異なった印象を 受ける。神奈川が、湘南遊歩道という具体的事例を報告したの対し、埼玉・千 葉は抽象的な今後の予定報告にとどまっていた。また、緑地計画の範囲として 東京駅を中心に半径50キロ圏内、山手線内主要駅から所要時間1時間以内が想 定されており、湘南は地理的にも交通面でもまさに適格の位置にあったが、「時間ノ関係ガ区域ヲ決メルニ非常二重要ナ事ト思ヒマスガ、湘南方面ト千葉、埼玉県方面トノ鉄道ノ具合ガ非常二違フ」との意見が出されたように、埼玉、千葉では県内地域を組み込むためには、今後の交通の発達に期待するとともに、当面は規定を緩めていく方向で議論せざるを得なかった。こうした意味でもこの時期の湘南は、他に優れて「大東京の風景地」としての代表的存在たる位置を明確にしていたと言えよう。

● 「理想的」住宅地

 さて湘南遊歩道建設計画にあたっては、「湘南一帯ノ絶好ノ土地二大二其ノ本来ノ機能ヲ発揮シ、天下二誇り得ル程ノ住宅地ガ出来ルノデアリマシテ、此ノ新シイ住宅地ニハ東京方面ヨリ、或ハ全国ヨリ来往者ヲ多ク増加スルノミナラズ、延テハ外人招致ノー助トモナツテ……。」
とされていたように、住宅地開発と外客誘致が想定されていた。そこで湘南開発事業の展開がもたらした意味に関し、この2つの点から考えていきたい。 1931(昭和6)年、湘南地域の「有識者」により湘南親和会が組織され、通勤の便や物価が重要問題とされるなど、少なくとも1930(昭和5)年代初頭には湘南海岸は別荘地から住宅地へと変わりつつある様相を示していた。さらに湘南遊歩道の建設が進むと、東海道線各駅と遊歩道を結ぶ湘南海岸地帯の県道も開設されていった。こうした交通の整備と、遊歩道建設と並行して進められた県営湘南水道の敷設があいまって、湘南海岸地帯での住宅地化が一層進展していくことになった。 ここで注目しておきたいのは、そうした湘南住宅地が、次のように風光の美や付近での行楽、あるいは保養地としての性格を強く意識して語られることである。  湘南道路が開通した暁は東京横浜の大都会が控えた湘南一帯は理想的住宅  地となる事は明瞭である……此処湘南沿線一帯は宛然たるパノラマである。世界の人類は健康第一主義の下に体育の発育健全に努めてゐるが健康の第一要件としては日光浴、新鮮な空気、よく食ひよく活動する事では湘南一帯は何れもその要素にかない活動に於いては海水浴場の施設もあれば 海岸の散歩ドライブ等健康にはこれ以上の天恵の地は他に見出せない。天下にその風光を謳はる白砂青松の湘南海岸景勝地をめぐる湘南パークウエー沿道の県有地…を利用し模範的県営保健住宅地を造成。1930(昭和5)年代において湘南は、別荘地から住宅地へ転換し始めることになった。すなわち、「啻に避暑避寒の為のみならず安住固定の地として京浜人士の愛好する処」となっていった。しかし「安住固定の地」たる住宅地でありえるのは、やはり別荘時代以来の特長(滞在して海岸を散策し、風光を愛で、避暑に海水浴を楽しむ)を受け継いでいるからであり、それゆえに「理想的」、「模範的」なものと考えられていた。現在の湘南の持つ理想的なリゾート住宅地イメージの原型は、こうした段階に直接的な端緒があるのであろう。

 ● 「観光」地としての湘南

 次に、外国人観光客誘致についてである。 1920年代後半の審議会での議論をうけ、1930(昭和5)年4月に政府は鉄道省の外局として国際観光局を設置、国際収支改善策の一環として外国人観光客の誘致策に乗り出していった。山県知事のもと、神奈川県ではこうした動きにいち早く対応し、「全国に率先して」1930(昭和5)年2月には外人招致委員会を設置した。さらに、「内外観光客の招致策の樹立は本県の日本に於ける地位と卓絶せる風致等より見、又県産業の状態に鑑み、一日も等閑視すべからず」として、翌1931(昭和6)年6月には神奈川県観光連合会を創設し、観光事業を本格化させていった。その創立打合会での挨拶で山県が、「外客招致の問題に就いては、本県は……夙に全国に先がけして、その運動を起こし、精神的方面は勿論具体的方面に於ても、夫々その実効実現を期して居る……昨冬の県会に於て、湘南海岸道路の新設を発案し」と述べているように、湘南遊歩道はそうした県の観光事業において重要な位置を占めるものであった。 したがって湘南遊歩道は、常に外国人、あるいは世界を意識したものとなった。
 当時の新聞記事でも、「天然的公園たるは既に湘南の名勝地として天下の知る所これに人工的技巧をこらすに依って茲にやがて湘南一帯は世界の楽園地と化する」、「開通の暁は湘南一帯の開発に一大貢献を資すと共に国際的の名所ともなる」と語られたし、県観光連合会が作成した外国人向け観光パンフレットでも、「When completed: this boulevard, the only one of its kind in Japan,wi
ll be greatly appreciated by the foreign tourist」(日本で唯一のこの遊歩道は、完成した際には、外国人観光客に大いに評価されるものとなろう一引用者訳)と自負が述べらていた。県観光連合会は、1930年代に毎年のように観光ポスターを作成していた。「湘南・箱根」の文字が大きく示され、モダンな姿の女性の背景に湘南や箱根の名所を散りぱめたイラストが描かれているのがわかる。また、「“美しき神奈川,,映画で世界的宣伝 国立公園や湘南やミナト等」とあるよ
うに、世界に向けた観光宣伝も展開しようとしていた。
 県の観光事業が展開されていく1930年代になると、以前から謳われていた、湘南の風光明媚さが改めて強調されて来るように考えられる。ただしその文脈は、かつての「別荘世界」との関連ではなく、「理想的住宅地」、あるいは外国人観光客との関連においてのものとなった。また、「世界の」、「国際的」という形容も目立つようになる。確かに湘南は、1930年代において、滞在する外国人避暑客の比重が鎌倉を中心に県内の約6割を占め、箱根を大きく上回っていた。湘南は、横浜や箱根とともに、海外へ示す「美しき神奈川」の代表として位置づけられるべき存在であった。つまり湘南が、文字通りの「観光」(国の光を観せる)という意味合いで意識されていくのである。したがって、オリンピックと万博の計画が登場する中で、湘南はその当事者たらんと強く意識したし、外国に対する「観光」意識もより鮮明に浮かび上がってくる。  パークウエーはオリンピック、万国博の相次ぐ渡来を控えてアチラの面々にも大いに誇って恥しからぬものとして本県の豪華な自慢が一つ殖えた。
そしてこうしたことはもちろん、翻って日本人にも影響を与え、湘南が「観光」の地として相応しい、モダンでハイセンスな土地であるとのイメージ形成に繋がっていったものと思われる。

● 戦後湘南一夏の海の原型、そして湘南の両義性−

 鉄道の事業展開と湘南各海水浴場の積極的な活動があいまって、1920年代半ば以降湘南の大衆化は急速に進行し、都会から多くの人々を誘った。来訪する多くの人々と都会への宣伝活動によって、湘南は都会の人々にきわめて馴染みの深いものになっていった。集客力でも他を圧倒する地位を占め、大東京の代表的「郊外」としての位置を確たるものにしていった。また集客策として各種イベントが繰り広げられ、鉄道とのタイアップ、商業的利用価値など、戦後の夏の海の原型がここに形作られていった。大衆行楽地湘南の確立であった。
 こうした湘南の大衆化の側面は、戦時期を挟んで戦後再び開花し、高度成長期に最終的なピークを迎えることになる。 しかし一方で、例えば外国人を意識することで、やはり湘南は、別荘地以来の他とは区別されるべき、ハイセンスで、理想的な土地としてのイメージがつきまとうことになった。そうした意味での湘南の両義性は、次のような記事にも象徴されていると考えられる。  ホテルニューグランドでは数年来夏季に信州軽井沢の林間にニューグランドロッジを経営、これは外人間のみならず上流貴顕の間にも快適のサンマー、ビラとして好評を博してゐるが、これを湘南辻堂付近白砂青松の間にも別個に建設し、軽井沢と違って外人上流のみならず、あまねく大衆に働きかけるべく決し……。  外国人や上流階級のものであった「軽井沢と違って外人上流のみならず、あまねく大衆に働きかける」場所が、湘南であった。都市大衆にとって、湘南は経済的な意味でも、距離的な意味でも手の届く範囲に降りてきた。しかし身近になった湘南は、なおも人々の憧憬の対象となりうる土地でもあり続けたのである。

                    「湘南の誕生」 編者「湘南の誕生」研究会 2005年3月31日発行より

 さて、この遊歩道ですが藤沢市史の中にこんな一節があります。「……県当局も、湘南道路の設計にあたり、江の島付近一帯の観光地的な特性を重視した。そのため、片瀬橋から鵠沼橋湘南遊歩道路を歩く女性にいたる区間には、車道をはさんで、北側に山手歩道、南側に海岸歩道および乗馬道を設け、とくに南側の二路線については、できるだけ直線化を避け、自然の起伏を生かして観光地に適合した「遊歩道」として設計した。また、各路線の境界は植樹帯として公園らしい美観をそえることにした。」とあります。
 昭和初期の湘南遊歩道路(現国道134号線の龍口寺一大磯間)建設の析りに、海岸線のプロムナード(遊歩道)と乗馬道が鵠沼地区に一部つくられているが、日本では意味もなく夕刻に散歩する習慣や乗馬の習慣は生まれようもない。
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