湘南の古都鎌倉
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最終更新日 2024:03:01 湘南の天気予報 只今の時間  2024年03月29日(金)08時54分

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鎌倉散策道【鶴岡八幡宮・宝戒寺】
鶴岡八幡宮
(つるがおかはちまんぐう)

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 由比ガ近<にーノ鳥居、鎌倉駅の近<にニノ鳥居、そして若宮大路が突き当たるところに三ノ鳥居を構え、かなだの石段上に本宮が鎮まっている。昔も今も変わらぬ鎌倉の大スターで、初詣で客の多いことでもよ<知られている。
 三ノ鳥居をくぐると正面に太鼓橋が架かり、両側に源平池が蓮を浮かべている。左奥に近代美術館かおり、すぐ先の四ツ辻を東西に流鏑馬馬場が走っている。この馬場を右へ歩<と鎌倉国宝館かおる。
 表参道の正面に舞殿(下拝殿)かおり、右に若宮、左奥に祖霊社、正面の石段を登ると本宮がある。この石段の左横で大
き<枝を張っているのが、歴史にも登場する゛隠れ銀杏″である。
 康平6(1063)年に源頼朝公の先祖である頼義公が奥州の戦乱「前九年の役」で勝利を収め、その帰りに鎌倉へ、京都・石清水ハ幡宮を勧請して祀った元八幡(材木座)が始まり。その後治承4(1180)年に、鎌倉を本拠地に定めた頼朝公が政権の中心地として、現在地に遷したのが鶴岡ハ幡宮である。
 祭神は応神天皇、比売神、神功皇后の三柱。三の鳥居の先にある源平池は向かって右が源氏池、左が平家池で、春にはソメイヨシノが咲き、夏になるとハスで埋まる。本宮へ至る石段の手前にあるのが舞殿で、頼朝公の弟義経の愛妾だった静御前が舞を舞ったという伝説がある。
住所 鎌倉市雪ノ下2−1−31
電話  0467-22-0315
拝観料 無料
拝観時間  6時〜21時
アクセス  JR鎌倉駅から徒歩10分
鶴岡八幡宮史  : 【鎌倉史・源氏から北条氏滅亡の軌跡】
鎌倉は、1185(文治1)年、源頼朝が鎌倉幕府を開き、続く室町幕府は鎌倉府を置いて関東支配の拠点となした地である。
 三方を山に囲まれ、南は海へと開くこの地は、日本の中世が封じこめられたような不思議な街である。重層する山々は幾筋もの谷を作りだし、谷は豊かな自然を育みつつ四季折々の彩を見せ、多くの古寺社や鎌倉特有のやぐら、石塔、石仏をその懐にいだく。
 尾根道からは、輝き霞む海が遠望される。鶴岡ハ幡宮は頼朝の鎌倉入り以来、鎌倉の中心として存在しつづけ、由比が浜へと続く若宮大路には、ニノ鳥居と三ノ鳥居の間に〈段葛〉と呼ばれ参道が今に残る。
 源頼朝(1147〜1199)が1180(治承4)年鎌倉に入って以来、鶴岡八幡宮は鎌倉の象徴的存在であた。幕府の儀式や行事も当宮を中心におこなわれてた、室町時代の鎌倉公方(関東を支配した鎌倉府の長官)も社前での儀式を継承したという。戦国武将や徳川幕府にも厚く信仰され、積極的な寄進や修造がなされている。
 若宮大路にしつえられ、両側に桜とツツジが植え込まれた一段高い参道(段葛(だんかずら))も、三ノ鳥居を入った左右の(源平地)と称される蓮地も、源平地にかかる橋も、すでに1182(寿永1)年に作られている。段葛は、頼朝が夫人北条政子の安産を祈って社前から由比が浜まで、まっすぐな道に直し、葛石(かずらいし)(縁取り石)を両側において参道としたものである。
 源平池は、向かって右を白蓮(びゃくれん)を植え三つ(産)の島を配して源氏の池、左を紅蓮(ぐれん)を植え四つ(死)の島を配して平家の地としたと伝えられる。
 鶴岡八幡宮(本宮)への右段左側に、(公暁の隠れ銀杏〉といわれる大銀杏がある。鎌倉幕府三代将軍源実朝(1192〜1219)は、ここにひそんでいた兄頼家の子の公暁(くぎょう)に殺されたという。
 当宮は康平6年(1063)源頼義公みなもとよりよし)(988〜1075)が奥州を平定して鎌倉に帰り、源氏の氏神として出陣に際してご加護を祈願した京都の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)(京都府八幡市)を由比ヶ浜辺にお祀りしたのが始まる。
 1191(建久2)年の火災で諸社殿を失った。ただちに背後の山腹を切り開いて社殿を造営し、あらためて石清水ハ幡営を勧請した。  これが現在の〈本宮〉(上宮。1828年再建)の起こりである。祭神は応神(おうじん)天皇・比売神(ひめがみ)・神功(じんぐう)・皇后の三柱である。
 境内には他に下拝殿(舞殿)、源頼朝・実朝を祀った白旗神社などがある。
また、頼朝公は流鏑馬や相撲、舞楽など、今日にも引き継がれる社頭での神事や行事を興し、 関東の総鎮守として当宮に厚い崇敬の誠を寄せた。
 以降、当宮は武家の精神のよりどころとなり、国家鎮護の神としての信仰は全国に広まった。
 当宮への信仰を背景に鎌倉を中心として興った質実剛健の気風は、その後「武士道」に代表される日本人の精神性の基調となりました。 現在では国際的史都鎌倉の中心的施設として国の内外より年間を通して数多の参拝者が訪れる。
 鶴岡ハ幡宮は〈鶴岡ハ幡宮寺〉とも別称されるように、源頼朝以来、仏教色の濃い神仏習合の神社であづた。
 神式の行事は神主がおこなったが、祭祀を執りおこなったのは神社に仕える僧、供僧であった。
 「供僧」は「供奉僧」の略で、本来は寺院で本尊に奉仕する僧の意であるが、神社に付属する寺院である〈神宮寺〉の僧(社僧)をもいった。社僧は神前で読経や祈祷をおこなって神に仕え、その長にあたる僧は〈別当(べっとう)〉といった。
 当宮の神宮寺は、1208(承元3)年に創建され、1868(慶応4)年の神仏分離の布告まで続いた。
 神仏分離政策によって、当宮に伝えられた仏教関係の宝物の多くは破却・離散していったという。一例をあげれば、寿福寺仏 殿の仁王像は、もと当宮の仁王門に安置されていたものである。
現在の御本殿は、1828(文政11年)、江戸幕府11代将軍徳川家斉公の造営による代表的な江戸建築で、 若宮とともに国の重要文化財に指定されている。 深い杜の緑と鮮やかな御社殿の朱色が調和する。
 境内には源頼朝公、実朝公をお祀りする白旗神社をはじめとする境内社のほか、 静御前ゆかりの舞殿や樹齢千年余の大銀杏が八百年の長い歴史を伝えている。
宝戒寺 (ほうかいじ)〈萩寺、天台宗〉

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 初秋、清楚な白ハギが境内一面に美しい花を咲かせることから、ハギ寺として親しまれている。
 小町大路と鶴岡ハ幡宮前からの横大路が交差するところに位置する。周辺には鎌倉幕府の執権・北条家代々の屋敷があったといわれ、参道入り口には「北条執権邸旧蹟」の碑などが建っている。
 寺域は北条義時以来、代々執権の屋敷跡。元弘3(1333)年、幕府滅亡とともに北条一族が東勝寺で最期を遂げたが、後醍醐天皇は一族の鎮魂のため宝戒寺の創建を発願し、足利尊氏によって建立。
住所 鎌倉市小町3−5−22
電話  0467-22-5512
拝観料 有料
拝観時間  8時30分〜16時30分
アクセス  JR鎌倉駅東口から徒歩15分
宝戒寺・寺史  : 【鎌倉史・源氏から北条氏滅亡の軌跡】
宗派  天台宗
山号寺号    金龍山釈満院円頓宝戒寺(きんりゅうざんしゃくまんいんえんどんほうかいじ)
創建   1335(建武2年)
開山   円観慧鎮慈威
開基    後醍醐天皇
本尊 子育経読地蔵大菩薩(こそだてきょうよみじぞうだいばさつ)
寺宝
 本尊は1365(貞治4年)、京の仏師三條法印憲円作で、国の重要文化財。脇立は木造梵天・帝釈天立像(県重文)。唐仏地蔵尊(立像)、十王尊、聖徳太子(二才尊像)、毘沙門天像など。大聖歓喜天堂には秘仏として大聖歓喜双身天王(国重文)。仏涅槃図(県重文)、仏舎利、十一面観世音菩薩など。
かつてこの地は鎌倉幕府第二代執権、北条義時(1163〜1224)以来、代々の執権が住んでいた屋敷跡といわれる。14代執権の北条高時(1303〜1333)は、1333(元弘3)年5月、新田義貞らに攻められて東勝寺で一族もろともに果て、居館も灰燼に帰し、ここに鎌倉幕府は倒壊し、北条氏もまた滅亡した。
その三年後、一族の霊を弔うために後醍醐天皇が足利尊氏に命じ、屋敷跡に宝戒寺を建立した。
後醍醐天皇を中心にして起こされた、この倒幕と公家政権の回復をくわだてた内乱は、〈元弘の変〉といわれる。
 後醍醐天皇は北条高時一族の冥福を祈るため、1335(建武2)年、その旧居跡に〈円頓宝戒〉と名づけて一寺を創建することを発願し、その後、足利尊氏らによって建立が進められ、1354(文和3)年ごろまでには寺観がととのったといわれる。
 開山の円観慧鎮(慧鎮。1281〜1356)は、後伏見・花園・後醍醐・光厳・光明の五天皇に円頓戒を授け、円頓大戒(金剛宝戒)と天台密教の道場として戒壇院を置いた。
 本尊の左右には梵天・帝釈天が脇侍している。
いずれも、もとはインド神話の最大の神で、仏教に取り入れられた仏法守護の神々の中で最高位とされている。
さらに地蔵菩薩を取りかこむようにして、閻魔大王像・十王坐像群が安置されている。
 本堂内には他に、鎌倉三十三所観音霊場の第二番札所本尊、仏母准胝観音が安置されている。この観音のわが国での造像例は少ないという。
大聖歓喜天堂には、秘仏の歓喜天像(室町時代)が安置されている。インド神話に起源をもつ神で、多く象頭の男女双身像に造られ、一般には夫婦和合、子授けの神として信仰を集めている。
人材を養成し、修行させるための道場としての意図もあり、境内には本尊を安置する本堂のほか、聖徳太子像をまつり、職人の信仰厚い太子堂、後年建てられた北条氏を供養する宝篋印塔、鐘楼などがある。
 ハギのほかにも、108種あるツバキ、ウメ、サクラ、マンジュシャゲなど多くの花が四季を彩る。
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